読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Movies, Music and English

映画字幕ボランティアなどをやっている森野智子のブログです。記事はさしあたりTogetterまとめの再録中心となります。

痛すぎる『ノートルダムの鐘』ヲタの私が実写版『美女と野獣』を観た結果w

久々の更新となってしまいましたが、今回は実写版『美女と野獣』について書きます。
と言っても、内容としては軽めで、「ついうっかりいろんな場面を全力で『ノートルダムの鐘』に脳内変換しちゃいましたよ」という与太話になります。
読み方によっては比較考察になっている…かな?
 
アニメ映画『美女と野獣』と『ノートルダムの鐘』、実写版『美女と野獣』、劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘』のネタバレを含みます。
追記に入る前にも多少のネタバレがありますので、スクロールされる際はご注意下さい。
また、台詞の引用は記憶に頼っているので不正確な場合があります。
 

 
最初に、あまりマニアックでない部分から。
 
多少ディズニー映画にお詳しい方なら、今回の実写版の原作であるアニメ映画『美女と野獣』と『ノートルダムの鐘』にある程度縁があるのはご存じかと思います。
 
まず、どちらも舞台がフランス。
次に、音楽のアラン・メンケンをはじめ割とスタッフが被っていて、『鐘』公開当時には「『美女と野獣』のスタッフが再結集!」との広告が打たれていました。
『鐘』本編中でも、『僕の願い』のミュージカルシーンで街中をベルが(読書しながら)歩いているという描写がありましたね。
 
 
ただ、『美女と野獣』の方に後年追加された『人間に戻りたい』のミュージカルシーンでベルの愛読書の一つがロミオとジュリエットと明示されてしまったので、実際には『美女と野獣』と『鐘』が同時代ということはあり得ず、『鐘』へのベルのカメオ出演はあくまでスタッフのお遊びということになるようですが…。
なお、本記事では深く立ち入りませんが、シェイクスピアの果たす役割は実写版ではより大きくなっています。
 
実写版『美女と野獣』では、『鐘』との繋がりを意識させる部分が、「ある程度ディズニーに詳しい方なら気づくであろう範囲」に限っても増えています。
 
具体的には、
 

①ベルの父・モーリスを演じるのが、『鐘』でフィーバスを演じたケヴィン・クライン

 

②ベルとモーリスがパリ出身だと明示され、ベルと野獣が魔法の本を使ってパリにあるベルと家族のかつての住居を訪ねる描写もある。その住居の窓からは、ノートルダム大聖堂がよく見える。

 
の2点です。
 
では…ここから、『鐘』と実写版『美女と野獣』の関係についてさらに深く語っていきます。
ほとんど私の妄想みたいな内容になってしまいますが、おつきあい下さる方は「続きを読む」をクリックして下さい。
 

 先ほどの二つの観点を軸に説明していきたいと思います。

 

①フィーバスが演じるモーリス

実写版においては、モーリスには以下の設定変更が行われています。
 
a. 発明家ではなく芸術家。かつては絵を志していたが、今ではオルゴール制作で生計を立てている。
b. ベルには母親のことを話そうとしないという設定が追加。
c. 村に戻ってから精神病院に入れられそうになるまでの経緯が大きく変更され、その関係でガストンとの絡みも増える。
 
このうちaについては省略、bについては②でまとめて述べるとして、ここではcについて詳述します。
 
アニメ映画では、
モーリスが酒場で「ベルが野獣にさらわれた」と助けを求めるが相手にされない
(この時点でガストンはモーリスを精神病院に入れることを画策し始める)
モーリスは病気を押してベルを探しに行く。その間ル・フウは雪だるまの振りをしてベルの家の前で見張り
野獣に釈放してもらったベルが行き倒れのモーリスを発見、家に連れ帰る
 
という流れになっていました。
ですが、これはル・フウやモーリスが頭身の低いカートゥーンキャラ的なデザインだったから成立する話です。
生きた人間が雪で自分の体を覆って雪だるまになりすましてほぼひと冬見張りをするなんて変ですよね(^^;
 
というわけで、実写版では以下の流れに変更されています。
 
酒場でモーリスが助けを求めるまではアニメと同じだが、ガストンがモーリスに恩を売って結婚を有利にするためにモーリスやル・フウと共に森に入る
だが森の魔法*1のせいかたどり着けず、業を煮やしたガストンはモーリスを森に置き去りにする
モーリスは実写版オリジナルキャラのアガットに助けられて村に戻り、酒場でガストンを糾弾。だがガストンがル・フウを味方につけてモーリスを狂人扱いし、精神病院に入れようとする
ベルが(黄色のドレス姿でフィリップに乗って)駆けつけ、魔法の鏡で野獣を見せてモーリスの正しさを証明する
 
ここで注目すべきは、モーリスがガストンやル・フウと共に森に入る場面です。
 
ここでまず出てくる絵面が、「白馬を操りながら森で道に迷うケヴィン・クライン」なんですよね。
『鐘』のフィーバスの初登場シーンも、地図を頼りに最高裁判所に行こうと四苦八苦するというものでした。
フィーバスはエスメラルダがカジモドに残した奇跡の法廷への地図の解読でもほぼ役に立っていなかったので、私の中では「地図の読めない男」というイメージだったりします(^^;
なので、この場面のモーリス…いえ、正確には冒頭で最初に野獣の城に迷い込むあたりから、フィーバスが被って仕方ありませんでした…。
 
次に、業を煮やしたガストンと口論になるシーンです。
詳細に入る前に触れておくと、実写版でのガストンは狩人から「戦帰りの英雄で、村人からは『キャプテン』と呼ばれる」設定に変更されています。
この設定、フィーバスと被っていると思いますか?
ですが、さらに詳しくみていくと、ガストンはル・フウに宥められる際に
「楽しいことを考えよう。血しぶきや戦で夫を亡くした未亡人」と言われたり、
『夜襲の歌』では夫が行方不明の妙齢の女性と意味ありげにまなざしを交わしていたりします。
むしろ、貴族の婚約者がいるにも関わらずエスメラルダと火遊びしようとしていた原作のフェビュスに近いキャラクター造形のように思えます。
ガストンはモーリスを「未来の父親」と呼んでゴマをすろうとするのですが、「貴様なんぞに娘はやらん」と一蹴。
私の目には、まるでアニメのフィーバスが原作のフェビュスに説教をしてるように見えました(^^;
まあ、私の超絶『鐘』脳内変換はともかく、ガストンと毅然と対決するモーリスというのは父親としてのモーリス像を際だたせる改変の一つなので、何にせよ注目すべき場面だとは思います。
 

②ベルと野獣、パリへ

ベルが魔法の本で旅する先にパリの昔の家を選んだのは、父親が語ろうとしない母親のことを知りたいという思いからでした。
野獣はそこで医者の使う防護面を発見し、母親の死因がペストであると推測します。
 
ペストといえば、『鐘』の原作『ノートルダム・ド・パリ』においてはフロローの両親の死因。
そして、四季ミュージカル『鐘』ではクロード・フロローの弟にしてカジモドの父親であるジェアン・フロローと、その妻であるジプシーのフロリカの死因です。
 
実写版のベルの母親は、娘にペストがうつる前にここから出て行くようにとモーリスに懇願し、一人で死んでいく道を選びます。
命がけでカジモドを守ったアニメ版における母親や、一度は袂を分かった兄を頼ってでも息子を守ろうとするジェアンに重なるように私には思えました。
 
そして、「もしかするとカジモドとベルって紙一重の存在だったのでは」とも思わせます。
アニメのカジモドの母親も容姿は整っていましたし、ジェアンは「美少年」と明言されていますから。
フロリカだって、クロードへの「誕生日プレゼント」の予定だったのですから、かなりの器量良しだったものと思われます。
 
 
ここまで私の妄想におつきあい下さった皆様、あともう一つだけ与太話をしてもよろしいでしょうか?
 
ディズニーの知識のある方が普通に観ただけで『鐘』との関連を想起する可能性は低いけれど、私にはかなり強く『鐘』要素を感じられる部分があります。
 

③野獣が歪んでしまった理由として、「優しかった母親の死後厳しい父親に育てられた」と設定されている

 
如何でしょうか?
「エスメラルダ関連の一連の出来事が起こらないままフロローに先立たれたカジモド」が連想されてはこないでしょうか?
原作のカジモドはエスメラルダやフロロー以外に対しては性格が悪いように描かれていますので、そちらのカジモドがひとりぼっちになったら初期の野獣のようになっていたかもしれない…私にはそう思えました。
あるいは、野獣にフロローを重ねることもできるかもしれません。
アニメ版でのフロローの生育歴は不明ですが、原作では幼い頃から大学に入れられ聖職者を目指すよう育てられていた、とされています。
四季ミュージカルでは孤児設定ですが、教会の戒律を過度に内面化した結果あのように育ったと考えれば、「クロードにとっての教会=野獣にとっての父親」とみることもできるように思います。
そして何より…私、前からこう思ってました。
「フロローがエスメラルダに愛されて改心する話をディズニー公式が作ることは決してないだろう。何故なら、『美女と野獣』とテーマ的に完全に重複してしまうから」
こんな風に考えていた私にとっては、野獣の過去設定はまるで野獣にフロロー要素を盛り込んだかのように見えました。
 
他にも、ベルがドレス姿で村に戻り、城にとって返す際にドレスを脱ぎ捨てて下着姿になるため、人間に戻った王子と共に城の外に出てくる場面がアニメ『鐘』のラストで大聖堂から出てくるエスメラルダとフィーバスに重なって見えたりと、まあ何から何まで『鐘』変換されてしまって大変だったわけです(^^;
 
どこまで共感していただけるかは全くの未知数ですが、機会がありましたらこういう観点からの観賞も試みてみては如何でしょうか…?
 

*1:実写版では「城と周囲の森が常冬になる魔法がかかっている」設定です。他にもモーリスが最初に訪れたときに落雷で倒れたはずの木が元に戻っていたりするので、侵入者を防ぐ魔法がかかっている可能性があります。とするとラストでガストンが野獣のもとにたどり着けたのが不可解なのですが、野獣が失意の中にあったことや、ガストンが魔法の鏡を持っていたことが関係あるのかも…?