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Movies, Music and English

映画字幕ボランティアなどをやっている森野智子のブログです。記事はさしあたりTogetterまとめの再録中心となります。

『ノートルダムの鐘』映画&米ミュ楽曲比較考察①『ノートルダムの鐘』

今日は映画『ノートルダムの鐘』スクリーンデビュー20周年!ということで、『ノートルダム』の使用楽曲の解説をスタートしたいと思います。第1回目は勿論、『ノートルダムの鐘』。
作曲のアラン・メンケン様が「自分の書いた中で最高のオープニングソング」とおっしゃるほどの肝いりです。

映画版とミュージカル版でのこの曲の違いは以下になります。

①そもそも語られているストーリーが違う
②歌い手が違う
③リプライズのやり方が違う
④コーラスの編成が違う

まずは①について。映画で語られたのは、「カジモドは不法入国を見咎められフロローに殺されたジプシーの息子。フロローはカジモドも殺そうとしたが大聖堂の司祭に止められ、カジモドは鐘楼に隠され育てられるようになる」というもの。ちなみにこちらのフロローは判事です。

新ミュの方では、
・フロローは幼少期に弟のジャンと共に大聖堂に引き取られた孤児、後に副司教に
・カジモドはフロローと仲違いの末出奔したジャンとジプシー女の間にできた子
・病死寸前にジャンがフロローを呼び出しカジモドを託す
となっています。

また、最終的にフロローがカジモドを育てるのを了承する理由も異なっていて、映画のフロローは「そのうち役に立つかもしれないから」。新ミュフロローは、「弟を自分と同じ考え方をするように育てるのには失敗したけれど、代わりにこいつをそのように育てよう」という思いからです。

ただ、共通しているのは、フロローはカジモドを「怪物」と認識し、意に反して養育を了承しているということです。また、カジモドの名の意味が「出来損ない(half-formed)」であるという解釈も両者に共通。

で、そもそもどうしてこの曲が製作されたかについては、こちらの⑩でも以前語ったのですけれど。
ノートルダムの鐘』オーディオコメンタリーまとめ - Togetterまとめ http://togetter.com/li/930833 @togetter_jpさんから

何でそんなに説明が長くなるかというと、「語られる内容が原作と全くの別物だから」。映画版も新ミュ版も原作とは異なる独自の内容です。
原作は何と、「大聖堂前に捨てられ、『怪物』として心ない人々に溺死させられそうだったカジモドをフロローが引き取る」という筋立て。
つまり、映画でフロローがカジモドに語り聞かせていた嘘っぱちが、原作における真実だったということ。
ただし、「自分が善行を積めば弟が多少悪さをしても神様が多めに見てくれるかもしれない」のような打算も少なからずあったようですが。
なお、弟は新ミュとは異なり、不良学生だけれどどこか憎めないコメディリリーフのような感じに成長します。最後死にますけど。

では次に②について。
映画では『ノートルダムの鐘』をメインで歌うのはクロパンで、彼が物語の語り部の役割。いったいどういう経緯でカジモドの出生の秘密を知ったのか、考察すればかなり深くなりそうです。
一方新ミュでは、この歌はアンサンブルが歌います。

そして③について。
映画では『ノートルダムの鐘』が歌われるのは冒頭とラストのみですが、新ミュではナレーション代わりに、場面の転換の度ごとと言っても過言ではないくらいに何度も歌われます。

ここで一つ重要なのが、歌に歌われる謎かけの違いです。
映画では冒頭の謎かけが「Who is the monster and who is the man?(誰が怪物で誰が人間か)」、ラストの謎かけが「What makes a monster and what makes a man?(何が人を怪物にし、何が人を人たらしめるのか)」なのですが、新ミュでは冒頭もラストも後者になっています。

最後に、④に関して。この曲だけでなく、作品全体に共通する話です。
新ミュでは32人編成のクワイヤがコーラスを歌いますが、実は映画では150人のイギリスナショナルオペラコーラスが合唱を担当しています。録音技術の違いのために前者の方が音圧が凄いように感じるのですが、生演奏の段階では映画の方が上を行っていたはず。ハイレゾリマスターか何かで出してほしいです…!!

このラテン語コーラスについてもいずれじっくり語りたいのですが、まだ未検証な部分があるので今日はここまでです。

次回は、さしあたり『Out There(僕の願い)』について語ります。