痛すぎる『ノートルダムの鐘』ヲタの私が実写版『美女と野獣』を観た結果w
実写版と比べるならこちら。https://t.co/AndFLVfajO
— 森野智子(本名ではなくHNです) (@morisato_snow) 2017年5月7日
①ベルの父・モーリスを演じるのが、『鐘』でフィーバスを演じたケヴィン・クライン。
②ベルとモーリスがパリ出身だと明示され、ベルと野獣が魔法の本を使ってパリにあるベルと家族のかつての住居を訪ねる描写もある。その住居の窓からは、ノートルダム大聖堂がよく見える。
ついにMovieNEX登場です!https://t.co/PLuamIiAEk
— 森野智子(本名ではなくHNです) (@morisato_snow) 2017年5月7日
『ノートルダムの鐘』のクロード・フロローの役職について~②原作・四季ミュージカル編:聖職者フロローは優秀どころの騒ぎじゃない!?
今回の記事では、まず原作、四季ミュージカルおよびその元になったアメリカ版ミュージカルにおけるフロローの地位を考察します。そして、原作を中心に、フロローの過去や人となりについて紹介します。
ちょっとだけ四季ミュージカルのネタバレあります。
『ノートルダムの鐘』のクロード・フロローの役職について~①映画編:実はフロローは判事じゃなかった!?
今回の記事は二部構成です。まず前半では、ディズニー映画、でのフロローの地位について考察していきたいと思います。後半(後日アップ)では、四季ミュージカルおよびその元になったアメリカ版ミュージカル、そして原作でのフロローの地位について考察します。
続きを読むマレフィセント~『眠れる森の美女』との違いと関係とミュージカル性
2016年7月8日放送予定の『マレフィセント』についての記事です。
最初に言っておきたいのですが…この作品、「アニメ映画『眠れる森の美女』のマレフィセントの真実を描いた物語」といったキャッチコピーがついていますが、実際にはそうではありません。
キャラクターの名前がアニメ映画と同じでも内実が全く違うキャラもいますし、名前自体が変更されているキャラもいます。
ストーリーにも物語開始当初から細かな違いがありますし、中盤以降は全く異なる展開になります。
以下では、まず具体的なストーリーの相違点を概観し、それから「『マレフィセント』は『眠れる森の美女』の何なのか?」についての私なりの答えを示します。それから、最後に英語小ネタについて『ミュージカル性』という観点から語ります。
ネタバレだらけになりますので、情報をシャットアウトした状態で本編を観賞したい方は今はお進みにならないことをお薦めします。映画を観終わってから、また読みに来てくださいね。
逆に、「一回観たけどテレビ放送の前におさらいをしておきたい」という方、「未見だけど先に見処を予習したい」という方には、ぜひぜひお読みいただきたいです。
続きを読む『ノートルダムの鐘』映画&米ミュ楽曲比較考察①『ノートルダムの鐘』
今日は映画『ノートルダムの鐘』スクリーンデビュー20周年!ということで、『ノートルダム』の使用楽曲の解説をスタートしたいと思います。第1回目は勿論、『ノートルダムの鐘』。
作曲のアラン・メンケン様が「自分の書いた中で最高のオープニングソング」とおっしゃるほどの肝いりです。
映画版とミュージカル版でのこの曲の違いは以下になります。
①そもそも語られているストーリーが違う
②歌い手が違う
③リプライズのやり方が違う
④コーラスの編成が違う
まずは①について。映画で語られたのは、「カジモドは不法入国を見咎められフロローに殺されたジプシーの息子。フロローはカジモドも殺そうとしたが大聖堂の司祭に止められ、カジモドは鐘楼に隠され育てられるようになる」というもの。ちなみにこちらのフロローは判事です。
新ミュの方では、
・フロローは幼少期に弟のジャンと共に大聖堂に引き取られた孤児、後に副司教に
・カジモドはフロローと仲違いの末出奔したジャンとジプシー女の間にできた子
・病死寸前にジャンがフロローを呼び出しカジモドを託す
となっています。
また、最終的にフロローがカジモドを育てるのを了承する理由も異なっていて、映画のフロローは「そのうち役に立つかもしれないから」。新ミュフロローは、「弟を自分と同じ考え方をするように育てるのには失敗したけれど、代わりにこいつをそのように育てよう」という思いからです。
ただ、共通しているのは、フロローはカジモドを「怪物」と認識し、意に反して養育を了承しているということです。また、カジモドの名の意味が「出来損ない(half-formed)」であるという解釈も両者に共通。
で、そもそもどうしてこの曲が製作されたかについては、こちらの⑩でも以前語ったのですけれど。
『ノートルダムの鐘』オーディオコメンタリーまとめ - Togetterまとめ http://togetter.com/li/930833 @togetter_jpさんから
何でそんなに説明が長くなるかというと、「語られる内容が原作と全くの別物だから」。映画版も新ミュ版も原作とは異なる独自の内容です。
原作は何と、「大聖堂前に捨てられ、『怪物』として心ない人々に溺死させられそうだったカジモドをフロローが引き取る」という筋立て。
つまり、映画でフロローがカジモドに語り聞かせていた嘘っぱちが、原作における真実だったということ。
ただし、「自分が善行を積めば弟が多少悪さをしても神様が多めに見てくれるかもしれない」のような打算も少なからずあったようですが。
なお、弟は新ミュとは異なり、不良学生だけれどどこか憎めないコメディリリーフのような感じに成長します。最後死にますけど。
では次に②について。
映画では『ノートルダムの鐘』をメインで歌うのはクロパンで、彼が物語の語り部の役割。いったいどういう経緯でカジモドの出生の秘密を知ったのか、考察すればかなり深くなりそうです。
一方新ミュでは、この歌はアンサンブルが歌います。
そして③について。
映画では『ノートルダムの鐘』が歌われるのは冒頭とラストのみですが、新ミュではナレーション代わりに、場面の転換の度ごとと言っても過言ではないくらいに何度も歌われます。
ここで一つ重要なのが、歌に歌われる謎かけの違いです。
映画では冒頭の謎かけが「Who is the monster and who is the man?(誰が怪物で誰が人間か)」、ラストの謎かけが「What makes a monster and what makes a man?(何が人を怪物にし、何が人を人たらしめるのか)」なのですが、新ミュでは冒頭もラストも後者になっています。
最後に、④に関して。この曲だけでなく、作品全体に共通する話です。
新ミュでは32人編成のクワイヤがコーラスを歌いますが、実は映画では150人のイギリスナショナルオペラコーラスが合唱を担当しています。録音技術の違いのために前者の方が音圧が凄いように感じるのですが、生演奏の段階では映画の方が上を行っていたはず。ハイレゾリマスターか何かで出してほしいです…!!
このラテン語コーラスについてもいずれじっくり語りたいのですが、まだ未検証な部分があるので今日はここまでです。
次回は、さしあたり『Out There(僕の願い)』について語ります。